四方山談義 将来女性は聖母マリアになれる?  その3

 

同じバイオの分野で世界的な評価を受けたのが、山中教授です。ノーベル賞を受賞しましたので、まず知らない人はいないでしょう。開発に成功した万能細胞であるIPS細胞は、卵子に変化させるどころか、クローン人間を誕生させることもできそうなのです。使い方を誤ると、神をも恐れぬ所業となってしまう可能性があります。それでも、IPS細胞は受精卵を必要とするES細胞のような倫理上の問題はありませんので、積極的に移植や薬剤創製などに利用できます。人間や動物が健康に生きるために多大な貢献を果たすことになるでしょう。実に素晴らしい功績です。

 

奇しくも山中教授は奈良先端科学技術大学院で河野教授とバイオの研究をしていた時代があります。河野教授は先輩格で、色々参考意見を聴くこともあったでしょう。その関わりからか、それとも同じバイオの世界で活躍してきた仲間としての意識があってのことか、山中教授がノーベル賞を受賞したときに祝辞を述べています。

 

河野教授は学生から技術系職員まで細かく技術を教えるという、人を大切にする姿勢が晴れの受賞につながったと、山中教授を賞賛していました。この謙虚な祝辞には感銘を受けました。サムライのような潔さがあらわれています。門外漢の私ですが、このコメントは心に響きました。いずれにしろ、両博士とも世界人類に与えた恩恵は計り知れないものがあります。

 

その陰で都落ちしている学者も数知れずです。独立行政法人理化学研究所の元研究員の小保方さんも、そのひとりです。研究論文や博士論文に不正があったとのことで、学会から追放された女性研究者です。一時期、簡便な方法で万能細胞が作れるとのことで、日本どころか世界からも脚光を浴びました。可愛らしい顔貌に現代っ子的な言葉づかい、まるで

アイドルが学者になったようでした。割烹着姿で試験管を振っている彼女に、ノスタルジックな愛らしさも感じたのは私だけでしょうか。AKB48がステージで踊りながら歌っている姿と、母親がお勝手に立って料理を作っている場面が頭に浮かび、一目でフアンになってしまいました。これは世紀の大発見をしたということだけではありません。理屈抜きで、脳内に愛情ホルモンのオキシトシンが溢れてしまったのでしょう。恐らく、世のオヤジの多くが虜になったはずです。もっとも、最近は美しいお嬢さんとして暮らしているようです。素敵なワンピース姿で瀬戸内寂聴さんと対談している写真が週刊誌に載りました。ドレスアップした姿に、脱皮を済ませた妖美なアゲハ蝶を連想してしまいました。その上、機会があれば再びバイオの世界に戻りたいとも言っていたそうです。アゲハ蝶からスズメバチに変身するかもしれません。ますますファンになってしまいました。

 

その彼女がバイオの世界から去っていくとき、それでもSTAP細胞はありますと言い放ったことが忘れられません。その言葉に嘘があるとは思えなかったのです。再現性に乏しいとは言え、STAP細胞が出来たのは本当、彼女にとっては曲げることのできない事実だったのではないでしょうか。単なる判官贔屓のおじさんの勝手な憶測と思われるかも知れませんが、そうとばかりとは言えません。同じ実験でも、冬場に行うと再現性が高まり、夏場では全く結果が異なるということが往々にしてあります。温度も湿度も気圧も、その他影響を及ぼす恐れのあるファクターを全て同一にしてもです。実験室には気まぐれな魔物が潜んでいるのです。

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四方山談義 将来女性は聖母マリアになれる?  その2

もし、人の遺伝的情報が同じであれば、外部環境に対する抵抗力も一緒ということになり、地球の歴史から考えると、既に絶滅していたはずです。恐らく、その多様性が、外部環境が如何に過酷になったとしても、生き残れる先祖をつくったのでしょう。そして、その遺伝的に多様性を持った卵子と精子が合体することを受精と言います。受精により、卵子と精子の遺伝的な情報が伝わる、つまり、両親の形質を子が受け取ることです。その現象は基本的にはメンデルの法則により説明できますが、その例外もあります。先に述べたように遺伝子の中にはインプリンティングされているものがあり、それらの遺伝子はメンデルの法則では説明できないのです。つまり、部分的に卵子若しくは精子の一方からから受け継いだ形質のみが発現するときがあるということです。これはインプリンティングされたゲノムが相手の遺伝子の発現を妨げたり促進させたりしていることでもあります。

また、場合によってはお互いに補完しあったりすることもあるでしょう。これは卵子にも精子にもインプリンティングされたゲノムがあるので、それを補完するゲノムが揃わないと発現しないということです。前者は、受け継いだ遺伝子に欠陥があると、それをカバーする機構がないので遺伝的な疾病を起こしてしまう可能性を示しています。インプリンティングされた遺伝子が片親性ダイソミィーとなり、病的な遺伝子を発現させてしまうからです。その典型的な例が、Prader-Willi症候群です。また、後者は、卵子あるいは精子単独で発生を許さない仕組みとも言えます。つまり、単為発生を阻止しているのです。これが、哺乳動物の単為発生を困難にする理由とされています。例えば、マウスの未受精卵を電気あるいはエタノールで刺激すると、第2極体の放出が抑制され、2倍体の単為発生胚が作れるのです。つまり、正常な胎児に成長する段階を踏めるのです。ところが、ある程度までは成長すると、途中で死んでしまいます。また、受精卵の雌性前核を取り出し、他の雄性前核を移植して雄核発生を試みても、同様に死んでしまいます。逆に雌性前核を移植して雌核発生を試行しても、結果は同じです。この現象は正常な子を作るには雌雄両性のゲノムが必要であるということを示唆しています。

雌性ゲノムは胚体の発育に、雄性ゲノムは栄養膜の発育に不可欠であるということが原因とされるからでしょう。つまり、雌性雄性ともインプリンティングされたゲノムがお互いに補完しあって新しい生命を誕生させると言うことです。しかし、何故、哺乳類が遺伝病を引き起こす可能性のあるゲノムインプリンティングを進化の過程で遺伝子にプログラムするようになったのかというと、まず考えられることは、もし、単為発生を許せば、多様性が生まれず、画一的な遺伝情報を持った哺乳動物が多数現れることになる危険性があるということです。また、未受精卵が胎盤を勝手に形成して成長してしまえば、絶えず親が妊娠している状態になり、これは運動能力の低下から捕食困難を生じ、固体の維持も難しくなるということでもあります。その他、卵巣腫瘍を発生させないようにするために必要とする悪性卵巣性腫瘍防止説、ウイルスの遺伝子がゲノムに取り込まれた時、その発現を抑えるためメチル化するという説などがありますが、定かではありません。

ただ、哺乳類の単為発生は、遺伝病の克服や家畜の品種改良に役立つ可能性がり、先ごろ、その第一歩を東京農業大学応用科学部バイオサイエンス学科の河野友宏教授等が築きました。つまり、世界で始めて単為発生マウスを作ることに成功したのです。河野教授の報告では、胎児の発育を抑制するIgf2遺伝子の発生を抑制するのがインプリント遺伝子H19であるが、このインプリント遺伝子H19欠損マウスの卵子ゲノムと排卵卵子ゲノムを除核卵母細胞に移植すると、正常な卵割を起こし、最終的に健康な雌マウスが誕生したとのことです。インプリント遺伝子H19欠損マウスの卵子ゲノムを用いることにより、成長に関するゲノムインプリンティングを受けていないゲノムで2倍体を作ることに成功した結果です。

人の卵子に同じ操作をしたら、どうなることでしょう。受精しなくても、子供が産めるようになるかもしれません。河野教授は「人に応用することは、許されないし、考えてもいない。まして技術的にも全く不可能である」と述べていますが、これを神をも恐れない罰当たりな行為とみるか、人口減少を食い止める一つの手段とみるか、将来の人類に課せられた課題でしょう。

 

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四方山談義 将来女性は聖母マリアになれる?  その1

長崎観光というと、グラバー亭や出島、雲仙を思い浮かべる人が多いでしょう。
若い人なら、ハウステンボスや九十九島あたりでしょうか。グルメの方でしたら、皿うどんやちゃんぽん、あるいは卓袱料理でしょうか。
私の場合は、もちろんグラバー亭や卓袱料理にも興味がありますが、どうしても立ち寄りたくなるのが、大浦天主堂です。俗に言う隠れキリシタンの里です。

南蛮文化に興味津々の織田信長は、キリスト教の布教活動を許しましたが、全国制覇を果たした豊臣秀吉は禁止令を出し、バテレンを追放するようになりました。それどころか、26名の神父や宣教者、さらには信者を処刑してしまいました。耳を削ぎ落されたあげくに張り付けにされ、槍で胸元を刺すという見せつけ的な殺し方でした。百姓一揆もそうですが、比叡山の僧兵の反乱を見てきた秀吉にとって、これ以上キリスト教信者が増えることが恐怖に感じたのでしょう。

大浦天主堂は、この26名の御霊を供養のために建立されたとのことです。堂内には、この殉死者の姿を描いた絵画が飾ってあります。正面を見れば、祭壇の奥のステンドガラスに浮かぶキリスト像、右にある小祭壇には赤子のキリストを抱くマリア像が安置されています。マリア像は正面入り口にもあり、キリスト教信者や観光客の心を和めています。心が和んだところで入堂し、厳かな堂内の雰囲気を感じ取ることで心が洗われるということでしょうか。

確かにマリアに心を奪われる人が多いようです。マリアには一心に子を思う母の心が感じられます。慈悲深い観音様のようです。この聖マリアですが、処女でイエスキリストを出産したそうです。つまり、神の御心がマリアの心に宿り、それが物化してイエスキリストという救世主を誕生させたということです。これが聖母マリアと呼ばれる所以でしょう。

では、我々人間はというと、男と女がいなければ、子供が生まれない。確かにその通りで、もう少し詳しく言うと、卵子が精子と結合するという受精が成立しなければ子孫は出来ないということです。

但し、現段階ではという条件がつきます。将来、全ての女性がマリアになれる可能性があります。といっても、神の御心が宿るということではありません。神の祝福ではなく、人間が人間に施す手法だからです。これは、恐ろしい反面、人類滅亡の危機を救ってくれる妙策になるかもしれません。

人を含め多くの哺乳動物は有性生殖を行っています。有性生殖は雌性と雄性の2つの配偶子が合体し接合子を作り、それが卵割を起こし、子孫という新たな固体を形成します。雌性配偶子を卵子、雄性配偶子を精子と呼びます。卵子は2倍体の卵母細胞が減数分裂を起こしため遺伝子的には1倍体になっています。精子も2倍体の精母細胞が減数分裂した結果、同じく1倍体になっています。減数分裂の特徴は、両親から受け継いだ相同染色体が合体する時、染色体の組み替えが起こり、遺伝情報が両親と異なる2価染色体を作ることです。また、この相同染色体が合体する時、ゲノム(遺伝子)のインプリンティングも起きているそうです。インプリンティングとは相同染色体の対立する一方の遺伝子がメチル化を受け、単独で活動できないように鍵がかけられた状態と言えます。また、一種の刷り込み現象ですから、ゲノムに刻まれた記憶とも言えなくもありません。これが生物の多様性を作り出しているのです。

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四方山談義 フランス人の外国人嫌い その3

それを知ったジャンヌ・ダルクは1429年に天使の御旗を掲げてオルレアンのシノン城に入城すると、大太子シャルル軍の士気が一気に高まり、僅か10日でベッドフォード公の軍を追い払ってしまったのです。そして、ランスに進軍して、大太子シャルルを正式にフランス王シャルル7世に即位させるための載冠式を実現させたのです。ところが翌年の5月、ジャンヌはブルゴーニュ地方を支配していたブルゴーニュ公が率いる軍隊に捕らわれ、身代金と引き換えにイングランド軍に売り飛ばされてしまいました。

 

そして、ジャンヌは異端裁判で魔女のレッテルが貼られ、哀れにも1431年5月30日にルーアンの広場で火焙りの刑に処せられてしまいました。ジャンヌが僅か18歳の小娘の時です。しかし、その死は無には帰しませんでした。ジャンヌの死を知ったシャルル7世派もブルゴーニュ派も、民族意識を取り戻し融和して、イングランド軍に立ち向かったのです。そして、1453年にフランス領からイングランド軍を追い払い、百年戦争は事実上終結しました。

 

この百年戦争でフランスが被った被害は甚大で、フランスの人口が3分の1程度に減少したとまで言われています。戦場がフランス全土に広がったため、多くの都市は荒廃し、回復するまでに数百年を要したとも言われています。それでもフランスを勝利に導いたのはジャンヌのお陰であり、その後救国の乙女、あるいは愛国の聖女と持ち上げられるようになりました。

 

それどころか、近年になり第三共和制が安定すると、ジャンヌを反イギリスの象徴とし崇めたてられるようになったのです。それは、その後フランスナショナリズムの台頭を許すまでに大きな影響を与えました。但し、その火付け役は当時の支配者階級で、体制の維持を目的にジャンヌの功績を利用して、イギリスを永遠の敵に仕立てたことも忘れてはなりません。このような血なまぐさい歴史上の恨み辛みがフランス国民の遺伝子に受け継がれ、ナポレオンの時代はもとより現代に至るまで、フランス人のイギリス人嫌いが固定化してしまったのではないでしょうか。

 

もつとも、日本と中国が戦ったのは約8年間でしたが、戦後60年経過しても依然として中国の反日感情は薄れていません。100年間も尊い命を犠牲にして戦えば、その憎悪の念がフランス国民の心に刻み込まれていても何ら不思議ではありません。ただ、シコリが残ったままでは、真の善隣友好関係は築けません。ちょっとした政治や経済の衝突でキナ臭い事態に発展してしまう可能性が高くなります。それは誰も望みません。あとで後悔するのが関の山ですから。やはり、未来永劫の繁栄を望んだら、草の根の親善活動も必要でしょう。ましてや、一方的なプロパガンダに洗脳されてはなりません。フランス国民が正眼を見開けば、多少はイギリス人嫌いにブレーキがかかったかもしれません。被害はお互い様、憎むは戦争、平和の礎は人の冷静な判断にありです。

 

では、アメリカというと、これは百年戦争からかなりの年月が過ぎてからのことです。1775年、アメリカはイギリスからが独立しようと戦争を始めました。その時、フランスは義勇団を派遣してアメリカを支援しました。目的はイギリスの植民地に対する権限を弱くすることでしたが、その他にフランス国民のアメリカへの憧れもあったのではないでしょうか。そのころ共和制を敷いていたフランスでは、国民の賛同がなければ、アメリカの独立戦争への加担は不可能だったからです。恐らく、アメリカは自由平等で、一生懸命働けば誰でも成功する可能性があると、そのころ官僚主導的な政治に閉塞感を感じていた多くのフランス人の心に映ったのではないでしょうか。ヨーロッパで貧困生活をしている者にとってのアメリカは、夢の新天地と思えたのに違いありません。そのようなアメリカの独立を応援するのは当然の成り行きですが、百年戦争で痛い目にあわせた憎きイギリスへの報復という側面もあったはずです。

 

フランスの独立戦争に対する貢献度は高く、明らかにチェサピーク湾の海戦は戦局をアメリカ側有利に導きました。しかし、その戦費はフランスの経済を破綻させ、フランス革命を引き起こす要因にもなったそうです。その革命で、絶対主義や身分制度から開放された人民は、同じ価値観を持つ自由なアメリカを益々憧れるようになったことでしょう。このアメリカに対する高い好感度は19世紀前半まで続いたと思われます。ハドソン川にそびえ立つ自由の女神像を寄贈するぐらいの惚れ込みようでしたから。

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四方山談義 フランス人の外国人嫌い その2

先ずはイギリス人です。かの有名なナポレオン1世は1806年に他のヨーロッパ諸国と連合を組み大陸封鎖をすることで、徹底的な兵糧攻めをイギリスに対して行いました。当時、イギリスは産業革命に成功し、圧倒的な経済力と軍事力でヨーロッパ諸国を席捲していました。大量生産可能な工業設備を持ち、安価で魅力的な輸出品を取りそろえ、アフリカからインド、極東へと、儲かりそうな貿易国を求め進出し始めたのです。自由貿易を行えば、絶対勝てるという自信があつたのでしょう。その邪魔をするのが宿敵のフランスです。当時ヨーロッパで覇権を握っていたフランスは、輸出で多額な利益を出しているイギリスが目の上のたんこぶ的な存在でした。覇権を奪取されるだけではなく、占領される恐れもあったからです。その他にも、それまで格調の高いヨーロッパの覇権者であったのに、新参のバイキングの末裔みたいな野蛮人にショバを荒らされたら、たまったものではないという感情もあったに違いありません。プライドの高いナポレオンですから。

 

たびたびネルソン提督率いるイギリス艦隊にこっ酷くやられても、ナポレオンは挫けません。いつかはイギリスに上陸して根絶やしにしてやると思っていたのでしょう。ところが、ネルソン提督にアマルダの海戦で敗れ、180度方向転換せざるを得なくなってしまいました。アマルダの海戦では、七つの海の覇者であるスペインの無敵艦隊が助っ人に来てくれたのにもかかわらず大敗北してしまったからです。これが大陸封鎖という、えげつない手段に発展したのです。武力では制圧できないので、戦略を兵糧攻めに変更したというわけで、勇猛果敢なナポレオンらしからぬ、選択肢でした。

 

それでも、イギリスは屈服しません。それどころか、イギリスからの原料が届かなくなったヨーロッパ諸国は物不足に陥り、国民の生活が困窮するようになってしまいました。そうこうしているうちに強国ロシアが離脱して、やがて大陸封鎖は自然消滅してしまいました。ナポレオンは反旗をひるがえしたロシアを許すまいと、遠征に出掛けましたが、補給物資が滞り、敗退するという結果に終わってしまいます。持久戦になれば、寒さとの戦いも待っています。いくら弾薬があっても、食糧や防寒着がなければ、極寒のロシアで戦うことは不可能です。冬将軍の到来を読まずにロシアに攻め入るとは、あまりに無謀すぎます。怒りは冷静な判断を失わすという教訓です。

 

このナポレオンのイギリスに対する敵視対策は執念というか怨念というか、尋常ではありません。では、何故ナポレオンはイギリスを執拗に打ちのめそうとしたのかというと、私は百年戦争の苦々しい思い出が心に焼き付いていたからではないかと思っています。

 

そもそもイギリスを最初に攻略したのは、西フランク時代にスカンジナビア地方から南下してセーヌ川河口あたりに定住したノルマン人のギヨームです。イングランド王に後継者がいないことに目をつけ、怒涛にように侵攻し、あっという間にイングランドの一部を占領してしまいました。やがてギヨームはイングランド国王ウィリアム1世として君臨するようになりました。その後ウィリアム1世の血縁がイギリス王室を面々と引き継いでいったのです。つまり、イギリスの皇室はバイキングの末裔とも言えるのです。

 

ウィリアム1世没後、ウィリアム2世、ヘンリー1世と引き継がれたところで激しい後継者争いで内乱が勃発し、結局ドーバー海峡を挟む広大な土地を領土化できたのはヘンリー2世でした。そのヘンリー2世も後に封建法を巧みに利用したフランス王のフィリップ2世やフィリップ4世に領土の多くを横取りされてしまいます。しばらくの間フィリップ家はわが世の春を謳歌していましたが、フィリップ4世が死去すると、またまた血なまぐさい後継者争いに巻き込まれてしまいました。それが発端となってイギリスのフランス侵攻が始まったのです。つまり、後継者にフィリップ4世の従兄弟であるバァロウ家がフィリップ6世としてフランス国王に即位するのですが、フィリップ4世の娘を母とするイングランド王エドワード3世が、その即位に反対し決起したのです。これが1339年に勃発したフランスとイギリスの王家間の長い争いです。勝ったり負けたりの戦いが約100年間続いたので百年戦争と呼ばれています。エドワード3世は息子のエドワード皇太子と共にフランス領に進軍し、ポアティエの戦いでフィリップ6世側に壊滅的な打撃を与えました。その結果、イギリスはフランスの領土の半分近くを手中に収めたのです。ところが、追いやられたフィリップ6世の子孫のシャルル5世がフランス国王に即位すると、コシュレルの戦いやラ・ロシェル沖の海戦で勝利し、あっという間に失地のほとんどを奪還してしまいました。シャルル5世は肉体的には虚弱でしたが、賢明王と呼ばれるぐらい頭は優秀で、国民からの厚い信任を受けていました。人の上に立つ人は、こうでなければなりません。だからこそ、一致団結してイギリス軍を駆逐できたのでしょう。これが百年戦争の第1幕です。

 

その後、シャルル6世の時代にフランスは相次ぐ内乱に巻き込まれました。それに乗じて、そのころイギリス国王となったヘンリー5世は1415年にアザンクールの戦いでフランスに大勝し、ノルマンディーを制圧してしまいました。それどころかシャルル6世の娘であるカトリーヌと結婚し、フランス王の座にもついてしまったのです。しかも、その子のヘンリー6世が赤子で王位につくと、叔父のベッドフォード公が後見人となり、院政を敷くようになり、イギリスのフランス支配は続きました。一方、シャルル6世の子である大太子シャルルはフランス王シャルル7世を名乗り、ロワール川以南を支配下に置きました。ベッドフォード公はフランスの二重支配を払拭するため、大太子シャルル派の拠点であるオルレアンを攻囲しました。

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四方山談義  フランス人の外国人嫌い その1

 

海外旅行は楽しいものです。最近はとんとご無沙汰ですが、学生の頃は時間と金があれば、勉強そっちのけで出かけていました。よれよれのTシャツとジーパンという出で立ちで、持ち物はパスポートと必要最低限の生活費、替えの下着、そしてカメラぐらい、今考えれば毎回無事帰国できたことが不思議なくらいです。

 

 

特にヨーロッパには魅了されます。歴史的な建造物を見学したり、世界的な芸術作品を鑑賞したりすることができるからです。しかも伝統的な文化と習慣が今に息づいています。感激の一語です。なかでも、何度も訪れたくなるのがパリです。活気に満ち、しかも芸術の中心地、心を揺り動かされるのは当然でしょう。

 

パリをぶらりする機会があると、必ず立ち寄るのが、モネやマネ、ルノワール、シスレー、セザンヌなどの印象派の絵画が数多く展示されているオルセー美術館です。彼等の作品を眺めていると、何故か魂が癒されます。その描写に少なからず浮世絵の技法が反映されていますので、きっと日本人の心に郷愁を呼び起こすのでしょう。

 

その浮世絵ですが、卓越した技量を誇る絵師のみで完成するわけではありません。同じく優れた彫師、刷師等との連係プレーが世界も認める芸術作品を生みだすのです。浮世絵の特徴は遠近法を取り入れたダイナミックな構図、鮮やかな色彩、強調された絵柄、印象派以前のヨーロッパの絵画には有り得ない技法です。当時の画家達が受けた衝撃は計り知れないものがあったはずです。その浮世絵にもっとも傾倒した画人が、私の大好きなモネです。

 

モネのアトリエはパリから電車で30分ぐらいの距離にあるジベルニーが最寄り駅ですが、そこから更に専用バスに乗る必要があります。かれこれ2時間ぐらいの行程になります。そのアトリエにはモネがこよなく愛した池があり、その中央にピンクや黄色の睡蓮の花が浮かび、その可憐な花たちを優しく抱擁するかのように日本風の太鼓橋が架かっています。その景色を横目に古びた横長の屋敷に入ると、様々な浮世絵が所せましと飾ってあることに気付きます。モネは親日家で、特に北斎や歌麿の浮世絵を好んでコレクションしました。そのモネのコレクションのうちで最も芸術的な価値のある浮世絵が、マルモッタン・モネ美術館に展示されていとのことです。まだ足を運んだことはありませんが、何とも気になります。パリはお宝があっちこっちに散らばっているようです。足腰がしっかりしているうちに拝見しないと、一生後悔することになってしまうでしょう。

 

ところが、これほどの親日家がいるというのにフランス人の多くは日本人が嫌いなようです。最近は中国人に嫌味を言う人が増えていると聞きます。やはり、黄色人種に対する差別なのでしょうか。そこで、フランスの民俗学に造詣の深い大学教授に尋ねてみると、恐らく個人主義者で、かつ排他的、しかも我が道を行くという国民性が、そう思わせているのではないかとのことでした。となると、東洋人が取り立てて嫌いというわけでもなさそうです。

 

そもそも、フランス人は伝統的に外国人を好まないようです。日本人にもドイツ人にもイタリア人にもイギリス人にも、アメリカ人に対しても冷たい態度をとると言われています。特にイギリス人やアメリカ人に至っては、露骨に嫌悪感をあらわすと聞きます。何故か?ちょっとした興味が湧いたので、その理由を書物や文献を参考にして考察してみることにしました。

 

続く

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四方山談義 エビは旨いが・・・どうしよう!? その2

 

とは言っても、性急に日本におけるエビの消費を抑制したら、逆に輸出国の経済を混乱させてしまうでしょう。孫小作人や定額(分益)小作人といったエビの養殖に係わる人々を路頭に迷わしてしまう可能性もあります。だから、せめて儲けだけではなく、相手の国の将来の発展を考えた商売を行って欲しいものです。特に自然環境の保全は十分に配慮すべきです。

このことはエビに限ったことではありません。よくよく考えると、エビは象徴的なものであって、日本は自動車でも半導体でも化学薬品でも圧倒的な技術力で東南アジアを席巻しています。

 

近頃は中国の大塔もあって、日本の勢いが陰ってきましたが、依然として経済的な支配下に置いていることには間違いありません。確かに、利益を追求する企業としては必然的成り行きでしょう。しかし、いつか大きなしっぺ返し食らうかもしれないと危惧している方も多いはずです。ピュリズムの大塔から急速に支配者階級と労働者階級の逆転が起こる可能性もあります。長く友好関係が築かれている国と言えども、政変や内戦、クーデターなどで、国政が一変してしまうこともあります。もし、将来、食料生産国が日本に食料を供給しなくなったら、日本の食生活は間違いなく貧しものになるでしょう。日本は約4割の食糧を輸入に依存しているからです。

 

恐らくアジアの未来は、EUと同じようになると推測されます。国と国との垣根が取り払われ、運命を共有するようになるかもしれません。企業には適材適所という従業員の活かし方がありますが、同じように其々の国が役割を分担するようになるかもしれません。TPPは流れてしまいましたが、近い将来東南アジア経済共栄圏なるものがつくられるような気がしてなりません。ですから、日本もその流れに乗り遅れてはなりません。今から効率的な生産のノウハウ、しかも環境を守るという日本の得意技で共栄関係を築くべきでしょう。

 

輸出国の支配者階級との蜜月関係も良い面、悪い面があります。大きな事業を推進させるためには、権力者の協力が絶対です。色々な裏事情もあるでしょう。ただ、結果として多くの国民の利益にならなければ、私腹を肥やす悪徳元首の片棒を担ぐだけで終わってしまうでしょう。あくまでも将来を見据え、安定した国家関係が維持できる対策も織り込むべきでしょう。国民の中に親日派が多く、善隣友好関係が築かれている今のうちにです。

 

現在、現地ではさすがに今までの養殖の在り方を反省する向きもあり、マングローブを植林したり労働者の賃金や労働条件の改善に取り組んだりしていますが、まだまだ十分とは言えません。2004年のスマトラ沖地震により発生した津波による死者は史上最大の惨劇になっていますし、2016年の津波でも100人近い死者が出ています。もし、マングローブの林が温存されていれば、死者の数は半減していたと、多くの学者が推測しています。海洋性地震に津波はつきものです。次の地震はいつ来るか解りませんが、間違いなく必ず来ます。一刻も早いマングローブの林の復活が叫ばれるところですが、果たしてどうなることやら。エビの養殖から免れた地域でも、食糧確保のための農地化やアブラヤシのプランテーションが進んでいるからです。他国の政策に口をだすつもりは毛頭ありませんが、気になるところです。

 

エビ食いたさでマングローブの林を減らしてしまった責任の一端は我々にもあります。

この事実を知ってしまうと、エビを食べ残すことなど、とても出来きません。頭までしゃぶって、エビの供養とともに生産者の苦労を鑑み感謝するのみです。

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四方山談義 エビは旨いが・・・どうしよう!? その1

伊豆の下田は開国の地です。今から約160年前の嘉永7年3月にペリー監督率いる黒船船団が忽然と浦賀沖にあらわれ、強引に開国を迫りました。その強大な軍事力に圧倒された幕府は、やむを得ずこの下田と函館に寄港することを許しました。それ以降、日本はずっ~とアメリカに頭の上がらない国になってしまいましたが、それなりに恩恵も被っている面もありますので、複雑な気持ちになります。

 

歴史探訪もさることながら、下田は海外にも知れた温泉地でもあります。泉質は単純泉、サッパリした湯ざわりなので、誰でも違和感なく入浴が楽しめます。

それだけではありません。リアス式海岸なので、多彩な魚介類が獲れます。鯛やカレイ、キンメ、カンパチ、シマアジ、イシダイなどなど、刺身でも焼いても煮ても、美味しく食べられる魚ばかりです。煮ても焼いても食べられないと言われている私にとっては憧れの存在です。つまらない話はさておき、これらの海の幸が目の前を飾ると、思わずニンマリしてしまうのは私だけでしょうか。

 

中でも、伊勢エビは思わず舌鼓をしてしまうほどの美味しさです。口の中でうま味とほのかな甘みが広がると、何とも幸せな気分になります。当然、美味しい肴があれば酒も進みます。冷えた生ビールをジョッキ2杯、続けて冷えた地酒を1合、いや2合、酒も躊躇することなく喉を通過して行きます。浴衣の袖に醤油が付かないように気を付け箸を進めるも、いつしか袖どころか、腹帯にもポタリ、無頓着な子供のようになってしまいます。

そのキモは味噌汁のダシに、これが実に美味、御代りをねだりたいところですが、一人一杯、我慢するしかありません。

 

それにしてもエビは旨い。伊勢エビに限らず、どんな種類のエビでも。もっとも、このエビ好きは私だけではありません。日本国内の年間のエビの消費量は約25万トンとのことです。つい最近、アメリカに輸入王の座を明け渡しましたが、それまで年間約30万トンものエビが日本人の胃袋を満たしていたのです。何と日本人はエビ好きな民族なのでしょうか。

 

1960年代初頭まではエビは高級な海産物でした。当然、庶民の食卓に乗ることは余りありませんでした。ところが、高度成長期になり食生活が豊かになると、エビの輸入が急増し、日本は世界第一位のエビ消費大国になりました。しかし、それが思わぬ影響を輸出国にもたらしたのです。東南アジアの漁民は、高値でエビを日本に輸出できるので、挙ってエビを獲るようになりました。エビは海底付近に生息するので底引き網漁法が主体になります。しかも、効率的に大量に捕獲するには大型のトロール船が必要です。このため、インドネシアでは莫大な投資が行われましたが、乱獲がたたり次第にエビの水揚げ量が減ってしまいました。この結果、借金の返済に苦労する漁民も多数あれわれるようになりました。それどころか、エビと一緒に網に入った魚貝類は商業的な価値がないということで、ほとんどが海に捨てられてきたため、海洋汚染も進んでしまいました。日本の輸入業者は、この事態を軽視し、エビ資源が枯渇する寸前までエビを買い付けました。エビを捕食する魚も数知れず、次第に多くの魚種が繁殖困難になり、海が死にかけてしまったのです。

 

その後、日本の商社は、安定的に大量のエビを確保するために養殖にも力を入れるようになりました。庶民向けスーパーが、冷凍エビといった格安で調理し易い状態したものを拡売するようになり、急速に需要が伸びたからです。台湾で行われていたエビの養殖池をヒントに、インドネシアでもフィリピンでも大掛かりにマングローブの林を切り開き、エビの養殖池に変えてしまったのです。マングローブは海に接する河口付近に自生する植物で、それを棲家にしている多くの生物が海の浄化に寄与しています。ですから、マングローブの林が減るとともに多くの生物も生存出来なくなってしまうのです。また、養殖池が故に多量の農薬が必要となり、環境汚染も問題になりました。その他、孫小作人、定額(分益)小作人、養殖家主、集買人などといった経済的なカースト制をも作り上げてしまいました。貧富の差が生まれ、のどかな南の島の人々の生活は一変してしまったそうです。このように、日本人の食生活の豊かさは、東南アジアの人々の生活や自然を犠牲にした上で成り立っているという現実を考えると、今さらながら我々の食生活を見直さざるを得なくなってしまいます。

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四方山談義 里山の自然とアベサンショウウオ  (2)

里山の自然とアベサンショウウオ(2)

それでは、何故このようにアベサンショウウオの生体数が激減してしまったかというと、ひと口で言ってしまえば、人間による自然破壊です。低地の人里付近では広葉樹の二次林を伐採して道路や住宅、農地を造り、生息地を縮小させてしまいました。京都府竹野郡では従来の生息地を追い出され道路の側溝で産卵せざるを得なくなったアベサンショウウオが、その後数年で絶滅したと語り継がれています。側溝の乾燥や餌の少なさが幼体の生存を妨げたのです。また、生活廃水や農薬、ゴミの不法投棄も環境汚染に脆弱なアベサンショウウオの生存に悪影響を与えていることでしょう。更に山地ではゴルフ場やスキー場の開発のため、森林が伐採され生息地が狭まられてしまった。アベサンショウウオは皮膚呼吸をしている両生類なので、乾燥に弱く毒物も容易に体内に侵入してしまうという特徴を持っています。したがって、環境の変化に適応する能力が低く、里山の自然が保全されない限り、絶滅に向かってしまいます。里山を形成している山地から低地までの森林や河川などの自然を保護しなければならないのです。

 

武生市西部地区は標高100m前後の盆地で、雑木が生い茂った標高150~200mの山々に周囲が取り囲まれています。また、その山々に降った雨や雪解け水の流れは地下にゆっくり滲みこみ、再び標高110~120mの山際で湧き水として地表に出てきます。武生市西部地区の住民は粘土質の土を掘り下げ水路を作り、その水を水田や溜池などに緩やかに誘導しています。この環境は里山の典型的なモデルと言えるでしょう。この環境があってこそ、アベサンショウウオが生息出来たのです。ところが、近年住民の高齢化や過疎、あるいはイノシシなどの獣害の増加などで、耕作を放棄する農家が多くなりました。そのため、里山の自然を守っていた水路の管理も手薄になり、水田や溜池、湿地帯が乾燥化し出しました。また、土地改良でコンクリート水路が増加したり、除草剤や農薬の散布が頻繁に行われた結果、アベサンショウウオだけではなく、生物の多様性をも壊滅させてしまう可能性が出てきたのです。そこで、武生市西部地区の住民は複数の団体や行政の支援のもと、水辺の生物を保護するために里山の保全に乗り出したというわけです。

 

産業革命以降、環境破壊は急速に進みました。その結果、今になって様々な弊害が顕著にあらわれてきました。この危機を乗り越えるには、自然と共存し持続可能な循環型社会を築くことが急務でしょう。この循環型社会は、つい最近まで日本中のあちらことらの里山で普通に見られたのですが、人がコンビニエンス社会を極端に追求したことで、取り返しがつかないほど里山の環境を悪化させてしまったということです。このような状態が続けば、近い将来人間はもとより地球上のありとあらゆる生物の生存権が脅かされるのではないかと危惧されています。

 

そこで、昨今、健全な里山の保全や再建が叫ばれるようになったというわけです。但し、里山の自然を保ち、その中で生息している生物の多様性を保全するには、その地区の住民だけに負担を強いてはなりません。里山の生活環境は厳しく、住民の努力だけではまず不可能だからです。それに、文明という生活様式の変化は必然的に里山の環境は崩壊してしまいます。やはり、近隣住民の協力の元、自然保護団体(NPO)、農協、大学の研究室、行政のバックアップが不可欠でしょう。また、自然保護に関する意識を高めるための学校教育や、国民への啓蒙運動も行わなければなりません。更に企業との折り合いや、場合に入っては支援も必要になるでしょう。課題は山ほどあります。

 

そう言えば、昔、どこの水田でも見られたゲンゴロウやヤゴ、タガメ、ミズカマキリも近頃ではとんと姿をあらわさなくなりました。雨あがりの水溜まりにどこからともなく飛んで来たアメンボウはどこに行ってしまったのでしょうか。カエルもドジョウも数を減らしましたが、水生昆虫ほど激減した生物種はないでしょう。イネにとって、最大の敵はカビとゾウムシやウンカ、カメムシなどの害虫ですから、農薬もカビや昆虫類に的を絞っているのでしょう。しかもタイムリーに撲滅する時期を選んで散布するとのことです。散布方法も近頃では無人ヘリコプターを利用するようになり、効率的に隅々まで行き渡らせることが可能となりました。静まり返った田んぼの上空を、けたたましい爆音を鳴り響かせ、農薬を霧雨のように噴霧している様子を見れば、誰しも悍ましく感じることでしょう。それどころか、雑草の処理のため、除草剤も定期的に撒いているそうです。田んぼのあぜ道を通るのも、気が引けます。

それでも、我々の胃袋を満たすためには、農薬の使用は仕方のないことかも知れません。完全な無農薬栽培となると、平均の収穫率が20%以上減ってしまうとの報告があります。ところによっては100%虫の餌になってしまうそうです。農薬の多くは消費者に行き渡る前に消滅してしまうとのことですが、全く不安を感じないわけではありません。米の貿易が自由化すれば、未知なる農薬の残留も危惧されます。安くても一抹の不安が残る米を選ぶのか、高くても安全な無農薬米を選ぶのか、頭が痛くなりそうです。

 

ともあれ、子供の頃田んぼを気持ち良さそうにすいすい泳ぐゲンゴロウの姿を頻繁に見かけましたが、今は滅多にお目にかかれなくなってしまいました。考えてみれば絶滅危惧種に指定されるぐらいなので、当然のことでしょうが。タガメは最早絶滅に近い状態とも聞きます。ときにはマムシの体液を吸うぐらいの勇猛果敢な昆虫ですが、哀れな状況に陥っています。

 

ホタル狩りが楽しめる水田も多くはありません。かよわいヘイケボタルは住める場所が限定されてきているようです。夜な夜な幻想的な光を放ち飛び回っている水田が珍しいということでテレビでも紹介されたぐらいです。ホタルの世界でも源氏が平家に勝ったようですが、平家も追いやられているようなので、痛み分けといったところでしょう。

世の人の多くは虫が嫌いです。虫なんか居ない方が良いと思う方もかも知れません。

でも、虫が居なければ、その捕食者である野鳥も野生動物も生きていけません。

 

こうなると、自然保護区も大切ですが、種の多様性を守る特区も作ってもらえればと希望してしまいます。産業発展のための特区ではなく、人間と自然が共存できる特区です。

 

隣で首までどっぷり浸かっていたご老人は、いかにも優しそうでした。日焼けした顔、その中に刻み込まれたシワ、未だに衰えを感じさせない二の腕の力こぶ、長い間自然と共存し、大地を相手になりわいを立ててきた証拠でしょう。こんなご老人の頭を悩ませてはなりません。

 

仕事は上手くいきましたが、つくづく考えさせられる出張になりました。

 

 

 

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四方山談義 里山の自然とアベサンショウウオ その1

里山の自然とアベサンショウウオ (1)

 

先日商用で福井に行く機会がありました。その折、3時間ほどフリーな時間がありましたので、越前市の西に位置するしきぶ温泉に立ち寄りました。ひと風呂浴びて、気持ちをリフレッシュさせた上で商談に臨もうとしたわけです。

 

湯船に浸かっていると、“○○さんの家の裏山でアレの子供を見つけたよ”と地元の農家の人らしいご老人が話していた。続けて、“後が大変だな、役所の指導が入るかもな”と眉間にシワを寄せていました。素知らぬ顔して話の続きを聴いていると、絶滅危惧種のアベサンショウウオの子ということが解りました。

 

ここに来る途中、長閑な田園風景が広がる中を鼻歌交じりで車を走らせていると、背丈が30cmぐらいに伸びた若穂が風に吹かれて棚引いている光景が目にはいりました。車を降りて辺りを見渡すと、こんもりとした山並みと藁葺き屋根の農家、まさに昔懐かしい里山の風景が広がっていました。

 

豊かな自然が残っているからこそ、この地にサンショウウオが生き残れたのでしょう。

 

帰宅後、環境保全に努めている地元の皆さんのご苦労に痛み入りつつ、生息数が激減しているアベサンショウウオに興味を引かれ、その現状をネットなどの情報を基に調べてみることにしました。

 

日本固有のアベサンショウウオはサンショウウオ目サンショウウオ科カスミサンショウウオ属の小型のサンショウウオです。体長10cm前後で、前足の指は4本、後ろ足の指は5本です。体表の色は暗褐色で、灰青色の腹部には薄い水色の斑点があります。繁殖期になると、雄の尾部は竜骨状になり尾高も高くなるようです。生活環境は広葉樹の二次林や竹林の奥深くの薄暗くジメジメした場所で、苔の生えた岩陰や湿った落葉の下を好むとこことです。餌はミミズやクモなどの小型の昆虫とされ、寿命は定かではありませんが、9年齢の個体が発見されています。

 

また、非常に警戒心が強く危険を察知すると捕食を止め、長引くと餓死してしまうと言われています。厳冬期前の11月から12月に繁殖期を迎え、1匹の雄に複数の雌が交尾し、左右が対になった透明でらせん状の卵嚢を産卵します。卵嚢には70~80個の卵が含まれていますが、イモリなどの捕食者に食べられてしまうことが多く、他の成体まで成長出来る数は少ないそうです。更に繁殖に適した条件は限られています。多くの場合、湧き水により形成された林縁の水溜りや溝中で、泥底に落ち葉が重なって堆積している場所です。

 

これらの環境は正に里山に存在する森林地帯でしょう。ところが、近年その自然が破壊されるにあたり、アベサンショウウオの生存に関して壊滅的な打撃が加わりました。イモリなどの捕食者などは比ではありません。そのため、種の保存法により国内希少野生動植物種に指定され、個体の保護と生活環境の保全が推し進められています。ただ、現在の生息地域は兵庫県の但馬地方や京都府の丹後半島、福井県の北部といった極めて狭い範囲に限られていますし、生息数も僅かで福井県北部の武生市西部以外は絶滅に近い状態と言われています。国や府県の政策も遅きに帰したという感は否めないでしょう。

 

 

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